あの日

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    1.17
    黙祷

    立ち止まってみることも

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      m(__)m当たり前の生活の中に埋もれた幸せは決して少なくない。毎朝、迎えた朝を感謝し、祈りを捧げている。
      同時に当たり前に過ごす生活の中に溢れる逸脱、危険、錯覚、過ち、歪んだ固定観念、破壊もあるのだと改めてかんじた。
      宇沢弘文先生の「社会的共通資本」が漸く興味深く読めるところにきて思った。
      王道を突き進んだ資本主義経済の足元が崩れ始め、保護主義に流れが変わり始めている。いづれも社会格差や資源争奪や、民族紛争の解決の糸口にはならないだろう。絶えず人は争い、奪う。

      もともと車社会が与える経済的関係や文明や自然社会への影響を広範にわたり分析した論旨を基点にしたこの社会的共通資本の全容は今の時代に警告として聞き取れるほど、
      私達は実は「くるま社会が当たり前」に麻痺してはいまいか。「くるま社会」を通して経済、資本、権力、自然、自由と尊厳、独立と共生を説く。またその逆の論証もあり農村の自立生産にも力強い論証も。
      本文より「自動車道路の建設は自動車産業自体の発展に対して大きな効果を持つとともに、自動車関連産業における雇用形成を誘発し、ひいては日本経済全体の成長を促進するという効果を持っていた。このことがまた人々の精神構造に対して、無視しないで影響を与えて、自動車の果たす光の部分だけに注目して、そのネガティブな側面から目をそらすと言う思考形態が一般的な風潮となっていった。」
      また、
      「ル・コルビュジェのー『輝ける都市』には人間が欠如している」
      一度立ち止まって読むべき書に出会ったと言える。

      忘れない

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        いつものように日経新聞の下欄に掲載される新刊案内を眺めながらチョイスした4作の一つがこれだった。というより真っ先に読む必要を感じたと言った方がいい。ネットで迷いなく注文し翌日には読んでいた。二日目に読み終えてもう一度読み返していた。なんども何度も泣かされた。たった一人の愛娘の命を奪われたお母さんに寄り添う思いで涙が溢れ、激しい怒りと悲しみが蘇った。
        新聞や連日のテレビで知った平成19年事件当時、私は強い衝撃をうけると共に無性に許しがたい憤りを感じていた記憶がある。事件は知っていてもそれが今、この書物によってより具体的に必然性をもってつなぎとめられた気がした。
        2007年8月24日に起きた筆舌に尽くしがたい残虐な拉致監禁殺害事件がベースのノンフィクション。と、そう書いてしまうと単に好奇の的としての読書の一貫で済まされてしまうようだが決してそうではない。忘れられずに心のどこかに引っかかっていたからだ。その理由は事件が起きた場所のほとんどが私の生活圏で起きている事が起因していた。読むほどにその自分の中に起きた動機は単純には語れないほどにあまりにもまさに私の隣で起きていた事実を突きつけた。
        犯人らが計画を練ったファミレスは打合せに何度か使った事がある。彼らが待ち合わせた場所の数々はまるで同じ時間に同じ通りを彼らとすれ違っていたはずだとさえ思うほど「身近」だ。拉致を決行した場所や通りは仕事でよく使うためほとんどの情景を浮かべられる。ましてや数日前に車でいつものように通過しているのだ。尊い命をその恐ろしい手口で奪った場所は私の出生地であり実名で出てくるレストランも家族ぐるみで行ったし、田舎ものの私には贅沢な場所でもあった。自転車でもなんども走ったし、庭そのものだ。彼らは金欲しさに恐喝相手を追い求め、現在私の住む日進にまで足を伸ばしている。死刑判決から一転無期に軽減された理不尽な展開にほくそ笑む殺人犯は、服役中に更に遡る数年前の殺人事件がDNA判定で同一犯である事が判明した。その事件現場である碧南のパチンコ店。その先に今も仕事でメンテナンスに通う客先がある。更には守山で犯した強盗殺人未遂事件。同じようにそこも仕事で通り過ぎた先に客先がある。
        ところでなぜ死刑から無期に後退したのか。被告側弁護団が立てた精神鑑定は社会矯正の可能性を訴えたことも背景にある。矯正?判定を下すその男は過去にも人を殺めていたのだ。精神鑑定とはいったいなんなんだ?

        今は亡き彼女が通った大学の記述にも胸の痛みを感じた。大学生活に意義を見出せず思い悩んでいたであろうまさにそのころ、大学の境界線を挟んだ市の公共施設は毎月携わった仕事の現場だった。
        あまりに奴らの近くにいた現実に正直、吐き気がする。
        意味のない憤りかもしれない。何一つまとを得ない表現なのはわかっている。だが言いたくなる。「そんなに近くにいたのに彼女を助けてあげられなかったのか。庭のように知り尽くした場所でなぜ気づいてあげられなかったのか」
        全くの他人だから当たり前なことだ…
        ただお住まいだった集合住宅の近隣住人の方々が今も掲示するメッセージが自分の思いに重なる。「身近にいて気づいてあげられなくてごめんなさい…」
        この本を読み、というより事実の数々を明らかにされ、ますますその思いが強くなるのは、母娘のありのままのどこにでもある、愛に満ちた普通の暮らしを一瞬にして奈落の底に突き落とすその恐怖と悲惨を克明に伝えてくれるからだけではない。
        陰惨なこうした事件に厳然と立ち向かうために、司法のあり方を改めて私達に問うものでもあると思う。まだ先日1審の公判が終わったタイミングで発刊されたこの書簡は現在、第二審を待つ。行く末を見守るため、私は決して忘れない。

        サイドアタッカーを開発するに至るまでに常々考えていたこと・・・・ストレスを伴った問題提起として

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          たとえば私たちの業界は、建材の一つである床材そのものに何らかのコーティングをおこない建材保護と美観維持の名のもとにメンテナンスを売り物にしている。しかしコーティングすることでその剥離という重大な工程に対し完全な技術を体系化できずにいる黙認された現実がある。・・・
          床材メーカーとビルメン業界の乖離。
          床材メーカーはコーティングを推奨しない。そもそもワックスありきで開発された床材メーカはほとんどない。あるのはオーソドックスな廉価版のみだ。なかでも大半の塩ビ系床材は極薄膜のUV仕上げで出荷され、それ自体に光沢があり、頑強な被膜で保護された意匠性を伴った『完成された商品』という事を見落としてはいまいか。
          最近あるメーカーがノーワックスリュームの施工をこちらの業界とコンセンサスを図るプレゼンがあった。バフ研磨して光沢を出す。ストレートにそういう話にひっかかる。ノーワックスならノン施工でいい。確かに汚れるので洗浄やなんらかのメンテナンスは我々に役割を投じる。しかし研磨し光沢を出すと、平滑面は即座に裂傷が付き易い状態を形成するため、バフ形成による均等な傷の集合体は日常の多様な圧力ですぐに構成が乱されてしまう。形成したということは素材の組成を破壊したことと同じなわけで、光沢などといえる代物でもなく。そもそも初めから研磨表面で製品化すればよかったものをなぜ余計な作業を必要とさせるのかやはり腑に落ちない。必要と誰が訴えるのか。洗浄以外何も手を加えないほうがその床材は意匠性よく、なんの問題もない素地でありながら。またバフ粉塵の空気汚染をどうとらえるのか。
          もし床材メーカーが一切コーティングを必要としない商品を前面に打ち出したら私たちの業界は一体どうなるか。床材メーカは高分子化学やなんやらの優れた技術でいかようにもできるからだ。

          数十年前からノーワックス床材は見本帳の主流にあり今は既に常識化している現実にこちら側は果たしてうまく乗っかっているだろうか。何をすき好んで我々はコーティングを芸術の極みのように施工追求しているのか・・・・・
          表層で我々は踊らされてはいまいか。
          或いは、ビルドアップした塗膜を完全に剥離できないこちら側。こうした問題に出くわしたことがない方々は別として。特に塩ビ系床材の可塑剤が「何らかの原因」で塗布した樹脂剤と一体化した時、それは堅牢に固着化しているし、そこに剥離剤は決して反応しない。水分を弾いてしまう。そのUV表層そのものが半ば荒れた肌のようにあいまいな表層を形成する事がある。その残膜に対し、ケミカルメーカーが方法を示しているとは思えない。五万とある剥離剤が太刀打ちできない塗膜が現実にある。しかもその塗膜を形成させたのはほかならぬ私たちの作業の延長によって発生させている。

          高光沢を訴え、素地保護の理由を前面に出してコーティングを必要と訴えるのはこちら側独自の業界認識。美観維持のインパクトのほうが剥離の限界点が起こすリスクよりも重要視されるきらいがあるのは事実。前述した「完全剥離ができない塗膜」は全体から見れば限られた範囲。
          床材は歩行量の増大によって損傷するため、そうならないように私たちは床材よりも「軟弱なコーティング剤」を塗布し、擦り減ったら塗布しの繰り返しを行って素材を保護し美観を維持する事は確かに肯定される。二度とコーティングしないで済むようなものさえも施工する。
          施工にはデメリットとメリットがあるもの。しかしデメリットはリスクにほかならない。剥離をすることによって露出する剥離不可能な残膜に出くわす現実。そこに過去の施工会社の責任を問うのではなく、業界全体の方法論や技術論に風穴が射しているのではないかと考えてしまう。

          表面に塗るものの賑わしい業界。

          文字通り、上っ面の話に終わらないように願う者として。

          サイドアタッカーは最終手段のようで速攻手段。上述の「うやむや」をバッサリ研削して終わらせる。
          復元不可能なら消し去ってしまおうという乱暴な表現がむしろ相応しい。
          特に優れたツールではなく、結論を早く突きつけるわかり易さこの上ない。それに上っ面を塗布するのはなにせ得意な業界だから。


          出会いに感謝

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            生き方の多くを誤ったためか、人の何十倍も遠回りをして生きてきたので、小さな自分は、逆に感動する事に溢れた生きた方をしている事に気づきました。
            本日のワイン会は忘れ得ぬ日になりました。土方会長に感謝。


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