およそ20年ぶりの再会を果たす
2016年3月21日名古屋東病院レスパイト
2019年12月25日自宅にて
この日ユキは、自宅で大好きだったクリスマスを迎えました。
とても細く小さな手はこちらに横たわり
ときおりなにかを言いたげな黒く大きな瞳を見開いて私を通り過ぎては戻っては。
両手で包み込んで話しかける私の声は聞こえていたと信じつつ。
私は念じるように壊れそうなユキの手を精一杯の温もりで包み込みました。
ユキと会う1時間はいつも会えなかった数年分の思いを込めたものです。
二人の合間を通り抜ける人工呼吸器の音が、規則正しく時を刻み、ユキの肺を動かしています。
いつのまにかその小さな手のひらに頬をうずめる自分がいました。
置いていかないでほしい。心が叫びました。
なぜか、なぜなのか。慰められ癒されるのはいつも私の方だからです。
4日後、ユキ最後の礼拝が今年最後の礼拝となりました。
翌朝、信頼するヘルパーからのメールは落ち着いた小康状態の報せで始まり、すぐに急変したメールの報せへと転じた30日。
来月には1日違いの誕生日を待つ事なく
多くのファミリーに見守られて静かにその身体から離れていきました。
「苦しまずに逝きました」 その日、立ち会えなかった私を支えようとするヘルパーからの言葉が
頭の中を真っ直ぐに貫いていました。数分の間に何年かの時が流れたようでした…
彼女たちのサポートはユキの生涯の全てを語ります。ユキの生涯を証しする代弁者です。
もっと交流するべきだったと今更悔やむ者です。
いつもユキに会うたびにつぶさにユキのこれまでの生活の様子をお話しくださった天津さん、栗本さん、地部さん、岡本さん・・・
まるでこれまでの私の不在を埋め合わせるかのように…感謝に耐えません。
お名前も覚えることなくお会いした方、お会いしたことのない方々にも
心から感謝を申し上げるとともに主の大いなる祝福を祈ります。
私を最後まで繋ぎ留めてくれたユキは、私の最愛の妹であり、教師であり、天使でした。
時を支配なさる主の御手にユキは委ねられました。
初めであり終わりであられる万軍の主が永遠に共にいてくださいますように。
2019年12月30日
〜される模様。
〜見守りたい。
・・・・
ネット上の時事NEWSは高い関心があっても結論も出ていないのに
飛びついた情報が氾濫しているため
でどうなったのかという肝心な部分が伝わらない。
今知らなければならないことはほとんどなく無駄に騒ぎ立てている。
ただきっかけとしてあるだけで周辺をにぎわすくだらない通販サイトへの誘導に辟易とする。
本当に知るべきこと知りたいことがいつの間にかどうでもいいことへ誘われ、
目的を失った習癖のように画面から離れない。
情報に翻弄される1強与党の脇の甘さは目につくが
変わらない野党の不揃いな足並みも同じようなものだ。
飛びついた後の立ち位置に礎がない。
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改めて製品についてこの場で触れるのは、或いは余りに誤解があるかも知れないと感じたから。
つい先日、熊本の災害復興の関連からQ援隊が導入されたとの報せを受け
大変お役に立てているようで心から嬉しく感じた。
あってはほしくない災害だが、インフラが被害を受け、家庭の水道から水が出なくなることがある。そんな時「水源確保」は優先課題のひとつ。無論飲み水ではないにしても生きる上で食料と等しく不可欠だ。
家庭用配管とは別に私設消火栓は頑強な配管で別に確保されている事をどれくらい認知されているだろう。農地用水路の消火栓も含め貴重な水源路がそこにある。当然災害規模によるのだとしても消火栓の大きな構造物を見て水を連想する事も馴染みがない。また緊急用の大口径ゆえに当然勢いよく飛び出してくる。バルブは固く、力一杯開けると一発水玉を食らう。微調整も効かない。水源として確保できたとしてもいざその時、老若男女問わず列をなして持ち前の容器なりペットボトルなどに滞りなく水汲みできるだろうか?否。微調整は効かない、大口径ゆえに方向性も定まらない。意外に微調整こそ思わぬ方向に水が飛び出してくる。消火活動という側面からだけ考えるのではなく、災害ライフラインとしての水源確保を考えた場合、真冬の寒い日に水汲みひとつで濡れたくはない。寧ろ濡れてはならない。着替えは?靴は?タオルは?ハンカチは?当たり前のモノが当たり前にない災害時、Q援隊は簡単に嵌める事ができ、台所の蛇口と同じ器具から普通にひねれば水が出てくる。バルブを両手で力一杯回すことなく、小さな子供だってできることだ。
地域のコミュニティにひとつあるだけできっと役立てるはず。
清掃業界におけるマンション清掃のツールだけではない別の意味で
なぜネーミングが「Q援隊」なのか。改めて発信の拡がりを期待したい。
やっと今日新しいのを見つけられました。」
弊社のブラシ第一号機が歩みだしたのは13年前の冬、ちょうど今頃になる。
あれから4世代目となる現在のアルファを探し求めてたどり着き
「これなくしては仕事ができないのです。」とお電話で。
製品名も商流形態も当時とは違うため探すのに一苦労があったようで。
心温まるメッセージとして胸の奥にたどり着いた。
]]>彼の尊厳は図れない。私とて同じことだ
彼は奴隷ではない 彼の労働に感謝するから給料を贈る
そう、贈り物で彼の生活を支える それがいい
そもそも、労働は社会全体のため、ひとさまのため、
そうやって支え合う仕組みの中で一要員として参画している
実は働くことと算定額は別の視点で考えることかもしれない
でなければ一向にしてお金のためだけに働くことがまかり通る世の中になってしまう
たとえ世の中がそうであっても私には背負いきれない仕組みだ
仕事とはひとさまのために働く事 実にわかりやすい「働く」というテーゼ
いいもの作ってくれてありがとう 素敵なサービスありがとう
おいしかったありがとう 素晴らしかったありがとう
いろんなありがとうで支えられて成り立つ社会
そこに私も彼も何の違いがあるものか
その労働は誰のために役立っているのか
それが役に立っている感動をまずきちんと伝えることが先だろう
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ものづくりの冥利に尽きる言葉をいただいた。
弊社では超高額製品の一群にある製品を4台も購入される
にはそれほどの採算性が製品価格に勝るということになる。
マイノリティーだがその声にこたえたくて開発した製品は
その瞬間に確かな息吹を上げる。
Avalon light アヴァロンライト
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司法判断の言いようのない憤り
私でさえ10年を経ても区切りがつかない
親御さんのことを思えばなお一層やるせない
故磯谷利恵さんの魂に安らぎを
身近に発生したこの事件は
屈折した人間の犯罪をさらに歪めた
液晶に浮かぶ乾いた文字の呼びかけだけで
輩が集まり魔の人間関係が成立した
その恐ろしさはそれだけでとどまらない
いま生きているこの社会にその恐ろしい仕組みが
増え続けている現実がある
それでも司法の刑罰観はこのままでいいのだろうか
残されたご家族は文字通り・・・・といってもお母様お独り・・・・
司法判断とはかけ離れたところに取り残されたままにも思える
犯罪学者ではないけれど
どうしても合点がいかない
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暑さを乗せた息苦しい空気
うなじをつたう汗
日本の夏はかつての戦争を思い起こす
あるいは目を覚まさせる
原因が何であれ
かつて日本は世界大戦の当事国だったのだということを
妙なもので
私の世代は敗戦、終戦、そして原爆のあったこの夏に
戦争を象徴的に意識づけられているようだ
寒い冬も当然戦時下だった
負けたことだけが戦争の記憶ではないし
日中戦争から見ても8年間は戦争をしていた日本なのに・・・
そのせいなのか
お盆という行事には先祖とともにとりわけ恒久平和を願う意識が高まるようだ
そのせいなのか
花火は他国の度派手な乱発文化ではなく
あがっては轟音と共にきらびやかに消えゆくさまにも思いを寄せ
それぞれの夏が終わろうとするのを受け入れようと夜空を仰ぐ
一つ一つの花火が生み出す瞬く時間を確かめるように
そうやって夏はいつも
四季の締めくくりを演じているようだ。
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出願拒否された
GHQ主導のアメリカ製日本国全盛時代の特許だ
生産利益確保のための盗用以外はくだらない特許でも
先に申請され受理されているものが優先的で永続的なパワーを持つ
レトロ感たっぷりの出願図面に歴史の古さを感じさせられるほど
美感あふれる英文字列はさながらインテリアポスターとみまごうほど
特許庁の審査官というのはいろいろなタイプがいらっしゃる
にしてもよくも探し当てて感心する
精査するほど隙だらけの拒否内容
このまま引き下がるわけにはいかない
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とすると200年後には森林が地球上から無くなる計算になる。そうなってからの地球を想像することはできないし、ましてやそれではすでにとき遅しだ。すでに温暖化という兆候が警告として私たちに示しているのは周知のとおり。それでも今の私にその危機感は「さほど」のことではない。という生活を送っている。だが、孫の時代に日本の夏は何とか耐えれるとしてもその次の子供たちはどうだろう。その次の子供たちはどうだろう。100年先というとまだ先のことのように思えたりもするが、孫が成人になって家族を持つのはそれほど遠くはない。となれば継子が成人になるのも想像に難くはない。年のせいかこのまま人類はどこに向かっていくのだろうと不安になることがある。諸外国間にあったパワーバランスが崩れかけても、資本主義経済が保護主義に成り代わっても、経済発展はあくなき追求を続ける。領土や資源のあくなき貪欲さも絶えない。その歪みは宗教をも屈折させ紛争やテロも引き起こす。
ただ現実に私の生活環境にもたらされたものはなにか。国家の発展とともにその存分な享受を免れない。なにがしかの不満はあったとしても、このまま満たされた経済環境とすぐれた先進技術にリードするこの国の享受を拒むことはしない。
ただ何かを返さなければいけないと思う。得られたもののすべては恩恵と考えて余りあるものではないだろうか。
当たり前のように暮らし、知らないままで人生を終わるのではなく、現在の生き方が後世の子孫たちに大いに責任が伴っているということ。そしていまも常に問われているということ。
読み終えた書の索引が心に残る
『白人が我々の生き方を理解できないのは周知のことである。白人にとって、一つの土地は、他の土地と同じような意味を持つ存在でしかない。白人は夜忍び込んできて、土地から、自分が必要とするものを何でも取ってしまうよそ者に過ぎないからである。白人にとっては大地は兄弟ではなく、敵である。一つの土地を征服しては、また次の土地に向かってゆく。…白人は、自らの母親でも、大地でも、自らの兄弟でも、また空までも、羊や宝石と同じように、売ったり、買ったり、台無しにしてしまったりすることのできる「もの」としか考えていない。白人は、貪欲に大地を食いつくし、後には荒涼たる砂漠だけしか残らない』
(1854年のシャトルというインディアンの酋長の言葉)
この『白人』とはなにも例の白人に置き換えて読むのではなく、かつての日本でもよいだろう。現在の強国でもいい。また列強が大陸を奪い合ったあの時代に遡らず、現代の時世で考えてもいい。また土地や大地を『いのち』に置き換えてもいい。
グサリとくる。
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高光沢を訴え、素地保護の理由を前面に出してコーティングを必要と訴えるのはこちら側独自の業界認識。美観維持のインパクトのほうが剥離の限界点が起こすリスクよりも重要視されるきらいがあるのは事実。前述した「完全剥離ができない塗膜」は全体から見れば限られた範囲。
床材は歩行量の増大によって損傷するため、そうならないように私たちは床材よりも「軟弱なコーティング剤」を塗布し、擦り減ったら塗布しの繰り返しを行って素材を保護し美観を維持する事は確かに肯定される。二度とコーティングしないで済むようなものさえも施工する。
施工にはデメリットとメリットがあるもの。しかしデメリットはリスクにほかならない。剥離をすることによって露出する剥離不可能な残膜に出くわす現実。そこに過去の施工会社の責任を問うのではなく、業界全体の方法論や技術論に風穴が射しているのではないかと考えてしまう。
表面に塗るものの賑わしい業界。
文字通り、上っ面の話に終わらないように願う者として。
サイドアタッカーは最終手段のようで速攻手段。上述の「うやむや」をバッサリ研削して終わらせる。
復元不可能なら消し去ってしまおうという乱暴な表現がむしろ相応しい。
特に優れたツールではなく、結論を早く突きつけるわかり易さこの上ない。それに上っ面を塗布するのはなにせ得意な業界だから。
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