雨と霧の中で

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    ある親愛なる氏の文面を読み、違和感を覚えながら月日が経ったいま、それがなんであるかに思い巡らせた。
    氏は収容所での究極で悍ましい生活の中にも愛と尊厳を失わずに生きた人がいて、作者がその1人であって素晴らしい人物だという評価があった。
    またそうあるべきだと生き方を示す教書でもあると言った。確かにそうかもしれない。

    ただそこで起きた「全て」は「個」の全てでもあるのでなないだろうか。生き方の選択などは存在していない状況に置かれてもそれでも人は何かの選択をしなければいけない。選択しないことも選択になる。極限状況に置かれた人間は飢え渇く。そのためには自分が生きることが最優先される。そこにある選択肢に希望があっただろうか。置かれた状況の人達にはその思考さえ破壊されていたのであって、一片のパンのカケラの放つ光に手を伸ばして絶えた命は、愛と尊厳を語る事を超えてはいまいか。
    ただ作者V.Eフランクルの妻が壁を隔てた向こう側の女子棟にいるであろう事を思いながら、確かに同じ時刻を同じ大地の上で生きていた共有感。
    監視団向けに取り繕った楽団の奏でる美しいヴァイオリンの音色を壁の向こうで確かに妻も聴いているはずと信じ、彼女もまた彼が聴いていると信じる事を信じる瞬く間の希望。読み返すたびに胸をえぐられるこの描写は対比的で悲しくも美しい。

    どう生きるべきかを説いたのではなく
    収容所の「全体」に私達を置き
    どう生きたのかを問いかけているのではないか。答えを私達が考えるために。
    V.Eフランクル著「雨と霧の中で」を読んで

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