必要性と採算性
『この製品でなければ仕事が成り立たない』
ものづくりの冥利に尽きる言葉をいただいた。
弊社では超高額製品の一群にある製品を4台も購入される
にはそれほどの採算性が製品価格に勝るということになる。
マイノリティーだがその声にこたえたくて開発した製品は
その瞬間に確かな息吹を上げる。
Avalon light アヴァロンライト
『この製品でなければ仕事が成り立たない』
ものづくりの冥利に尽きる言葉をいただいた。
弊社では超高額製品の一群にある製品を4台も購入される
にはそれほどの採算性が製品価格に勝るということになる。
マイノリティーだがその声にこたえたくて開発した製品は
その瞬間に確かな息吹を上げる。
Avalon light アヴァロンライト
戦後間もないころのアメリカの特許に類似性があるとして
出願拒否された
GHQ主導のアメリカ製日本国全盛時代の特許だ
生産利益確保のための盗用以外はくだらない特許でも
先に申請され受理されているものが優先的で永続的なパワーを持つ
レトロ感たっぷりの出願図面に歴史の古さを感じさせられるほど
美感あふれる英文字列はさながらインテリアポスターとみまごうほど
特許庁の審査官というのはいろいろなタイプがいらっしゃる
にしてもよくも探し当てて感心する
精査するほど隙だらけの拒否内容
このまま引き下がるわけにはいかない
世界全体の森林が40億ヘクタールのうち、年々2千万ヘクタールの森林が消滅しているとFAOの推計。
とすると200年後には森林が地球上から無くなる計算になる。そうなってからの地球を想像することはできないし、ましてやそれではすでにとき遅しだ。すでに温暖化という兆候が警告として私たちに示しているのは周知のとおり。それでも今の私にその危機感は「さほど」のことではない。という生活を送っている。だが、孫の時代に日本の夏は何とか耐えれるとしてもその次の子供たちはどうだろう。その次の子供たちはどうだろう。100年先というとまだ先のことのように思えたりもするが、孫が成人になって家族を持つのはそれほど遠くはない。となれば継子が成人になるのも想像に難くはない。年のせいかこのまま人類はどこに向かっていくのだろうと不安になることがある。諸外国間にあったパワーバランスが崩れかけても、資本主義経済が保護主義に成り代わっても、経済発展はあくなき追求を続ける。領土や資源のあくなき貪欲さも絶えない。その歪みは宗教をも屈折させ紛争やテロも引き起こす。
ただ現実に私の生活環境にもたらされたものはなにか。国家の発展とともにその存分な享受を免れない。なにがしかの不満はあったとしても、このまま満たされた経済環境とすぐれた先進技術にリードするこの国の享受を拒むことはしない。
ただ何かを返さなければいけないと思う。得られたもののすべては恩恵と考えて余りあるものではないだろうか。
当たり前のように暮らし、知らないままで人生を終わるのではなく、現在の生き方が後世の子孫たちに大いに責任が伴っているということ。そしていまも常に問われているということ。
読み終えた書の索引が心に残る
『白人が我々の生き方を理解できないのは周知のことである。白人にとって、一つの土地は、他の土地と同じような意味を持つ存在でしかない。白人は夜忍び込んできて、土地から、自分が必要とするものを何でも取ってしまうよそ者に過ぎないからである。白人にとっては大地は兄弟ではなく、敵である。一つの土地を征服しては、また次の土地に向かってゆく。…白人は、自らの母親でも、大地でも、自らの兄弟でも、また空までも、羊や宝石と同じように、売ったり、買ったり、台無しにしてしまったりすることのできる「もの」としか考えていない。白人は、貪欲に大地を食いつくし、後には荒涼たる砂漠だけしか残らない』
(1854年のシャトルというインディアンの酋長の言葉)
この『白人』とはなにも例の白人に置き換えて読むのではなく、かつての日本でもよいだろう。現在の強国でもいい。また列強が大陸を奪い合ったあの時代に遡らず、現代の時世で考えてもいい。また土地や大地を『いのち』に置き換えてもいい。
グサリとくる。
たとえば私たちの業界は、建材の一つである床材そのものに何らかのコーティングをおこない建材保護と美観維持の名のもとにメンテナンスを売り物にしている。しかしコーティングすることでその剥離という重大な工程に対し完全な技術を体系化できずにいる黙認された現実がある。・・・
床材メーカーとビルメン業界の乖離。
床材メーカーはコーティングを推奨しない。そもそもワックスありきで開発された床材メーカはほとんどない。あるのはオーソドックスな廉価版のみだ。なかでも大半の塩ビ系床材は極薄膜のUV仕上げで出荷され、それ自体に光沢があり、頑強な被膜で保護された意匠性を伴った『完成された商品』という事を見落としてはいまいか。
最近あるメーカーがノーワックスリュームの施工をこちらの業界とコンセンサスを図るプレゼンがあった。バフ研磨して光沢を出す。ストレートにそういう話にひっかかる。ノーワックスならノン施工でいい。確かに汚れるので洗浄やなんらかのメンテナンスは我々に役割を投じる。しかし研磨し光沢を出すと、平滑面は即座に裂傷が付き易い状態を形成するため、バフ形成による均等な傷の集合体は日常の多様な圧力ですぐに構成が乱されてしまう。形成したということは素材の組成を破壊したことと同じなわけで、光沢などといえる代物でもなく。そもそも初めから研磨表面で製品化すればよかったものをなぜ余計な作業を必要とさせるのかやはり腑に落ちない。必要と誰が訴えるのか。洗浄以外何も手を加えないほうがその床材は意匠性よく、なんの問題もない素地でありながら。またバフ粉塵の空気汚染をどうとらえるのか。
もし床材メーカーが一切コーティングを必要としない商品を前面に打ち出したら私たちの業界は一体どうなるか。床材メーカは高分子化学やなんやらの優れた技術でいかようにもできるからだ。
数十年前からノーワックス床材は見本帳の主流にあり今は既に常識化している現実にこちら側は果たしてうまく乗っかっているだろうか。何をすき好んで我々はコーティングを芸術の極みのように施工追求しているのか・・・・・
表層で我々は踊らされてはいまいか。
或いは、ビルドアップした塗膜を完全に剥離できないこちら側。こうした問題に出くわしたことがない方々は別として。特に塩ビ系床材の可塑剤が「何らかの原因」で塗布した樹脂剤と一体化した時、それは堅牢に固着化しているし、そこに剥離剤は決して反応しない。水分を弾いてしまう。そのUV表層そのものが半ば荒れた肌のようにあいまいな表層を形成する事がある。その残膜に対し、ケミカルメーカーが方法を示しているとは思えない。五万とある剥離剤が太刀打ちできない塗膜が現実にある。しかもその塗膜を形成させたのはほかならぬ私たちの作業の延長によって発生させている。
高光沢を訴え、素地保護の理由を前面に出してコーティングを必要と訴えるのはこちら側独自の業界認識。美観維持のインパクトのほうが剥離の限界点が起こすリスクよりも重要視されるきらいがあるのは事実。前述した「完全剥離ができない塗膜」は全体から見れば限られた範囲。
床材は歩行量の増大によって損傷するため、そうならないように私たちは床材よりも「軟弱なコーティング剤」を塗布し、擦り減ったら塗布しの繰り返しを行って素材を保護し美観を維持する事は確かに肯定される。二度とコーティングしないで済むようなものさえも施工する。
施工にはデメリットとメリットがあるもの。しかしデメリットはリスクにほかならない。剥離をすることによって露出する剥離不可能な残膜に出くわす現実。そこに過去の施工会社の責任を問うのではなく、業界全体の方法論や技術論に風穴が射しているのではないかと考えてしまう。
表面に塗るものの賑わしい業界。
文字通り、上っ面の話に終わらないように願う者として。
サイドアタッカーは最終手段のようで速攻手段。上述の「うやむや」をバッサリ研削して終わらせる。
復元不可能なら消し去ってしまおうという乱暴な表現がむしろ相応しい。
特に優れたツールではなく、結論を早く突きつけるわかり易さこの上ない。それに上っ面を塗布するのはなにせ得意な業界だから。